悲しみのツボが共感されない
ある日の晩、旦那と赤提灯系の安居酒屋に行った。
ビールケースを重ねて作った簡易的なテーブルと、年期の入った丸イスが敷き詰められた店内。
早い時間の割に客が入っている。
メニュー本はなく、ホワイトボードに書いてあるメニューから注文をするスタイルだ。
旦那は「これと、これと、あとこれも食べたいな・・・」と近くのホワイトボードを指さした。
よく見ると、メニュー名部分を直接指で触っている。
そんな事したら、お店の人がせっかく書いた文字が消えてしまう!
というか現に、ちくわぶの「ぶ」の下半身がちょっと消えているではないか!
私はとてつもなく落ち込んだ。
きっと、閉店後に店員が「ぶ」の下半身を書き直すのだろう。
こういった居酒屋は薄利多売で頑張っていて、労働条件は決して良くないはずだ。
それなのに我々の愚かな行いのせいで余計な手間を取らせてしまった。
"いい店"では"いい客"でいたかった、それが叶わなかった事が悲しい。
それはもう、凄まじく悲しい。
私は旦那に「文字が消えるからホワイトボードに直接触らないで欲しい」と言った。
旦那は最初困惑したものの、私のただならぬ様子にしぶしぶ要求を受け入れた。
30分後、「締めはやきそばにしようか」と言って、旦那は「ば」の下半身を消した。