鬱なのに映画『ジョーカー』を観る
各所で"危険な映画"と評されている映画『ジョーカー』。
内容も陰々滅々としているとの事で、うつ病の私が観に行っていいものか悩んだ。
どう考えても、精神衛生上よくないだろう。
孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。
しかし、いざ封切りされると、何かに駆り立てられる様に観に行ってしまった。
まぁ、『ダークナイト』が好きだからしょうがない。
以下、なるべくネタバレなしの映画体験記。
この映画が"危険"と言われる所以は、史上最強の悪役に感情移入してしまう点だ。
ちなみに私は、あっとゆう間にジョーカーに魅せられ、最終的にはかなりのシンクロ率で心が同化していた。
これは、私が精神疾患を患っていて心が不安定だからなのか、人間性や境遇に共通点があったからなのかは分からない。
この世ってあまりにもひどい。
気が弱いからっていいように使われて、必要以上に頑張って、ボロボロになったら簡単に捨てて、加害者はいけしゃあしゃあと逃げる。
何で私だけいつもこんな目に合うんだ?
不真面目で不誠実な奴なんていくらでもいるのに。
何で私の心だけ見て見ぬふりをする?
傷つかないとでも思っているのか?
母親はいつも「神様は見てる。悪い子にはバチが当たるから。」というテンプレで非干渉を決め込んでいた。
大嘘じゃないか、バチなんて一個も当たっていない。
私を鬱に追い込んだ奴らは、今日も明るく楽しく元気に生きている。
私は職を失い、毎月高い治療費を払いながら、病と闘っている。
そして、映画中盤のジョーカーのセリフ、『今まで自分の人生はずっと悲劇だと思っていたが、喜劇だった』に魂が共鳴した。
そうなんだよ、ギャグだよなぁ、もう笑うしかないだろ。
もっと殺れ!どんどん殺れ!この世界をぶっ壊す!
いけないカタルシスを存分に味わいながら映画は終わった。
私は、これから元上司や母親を、一発ぶん殴りに行こうかという気分になった(もちろん実行していない)。
うむ、やはりこの映画は危険だ。
体に溜まった未処理の鬱憤を爆発させるスイッチみたいだ。
映画が終わると急にぐったりきて、家でしばらく寝込んだ。