Netflixのドキュメンタリー番組『アイ・アム・ア・キラー』を猛烈に推す
ここ最近、Netflixのドキュメンタリー番組『アイ・アム・ア・キラー~殺人鬼の独白~』にハマっている。
内容紹介
死刑判決を受けた囚人たちが、自身の生い立ちや事件の真相をカメラの前で語る犯罪ドキュメンタリーシリーズ。
当事者だからこその言葉が生々しい。
いやはや死刑囚との面会の場で、カメラ回せるってすごい。
そこにいるのは生身の人間、淡々と落ち着いた様子で話す彼・彼女らが、本当に凄惨な事件の犯人なのか?
自分が思う"死刑囚像"とあまりにかけ離れていて、混乱する。
番組は事件関係者のインタビューで構成されている。
最初に死刑囚→警察、司法関係者→加害者・被害者の知人→共犯者、目撃者→最後に今までのVTRを死刑囚に見せて一言・・・とおおよそこんな感じだ。
とりあえず最初に死刑囚の言い分を信じてみるのだが、そこは信用出来ない語り手、他者からの証言を聞く度に真実は二転三転する。
完璧な語り手などいない、誰の証言を重視すればいいのかも分からない、話はどんどん食い違い、真実は闇の中。
この辺りは映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』を連想させる。
スッキリした解答が欲しい人には不向きかもしれない。
私が注目したのは、「記憶はその人にとって都合よく書き換えられる」という点。
各人の証言には、当然"自分の立場を守る為、意図的についている嘘"も含まれているのだが、恐らくそれだけではない。
"真実だと無意識に信じ込んでいる嘘"も含まれるのではないかと。
人間は自分の心を防衛する為、なかった記憶を捏造すると聞いたことがある。
事件関係者、特に長期拘束で途方もないストレスを抱えた死刑囚が、記憶を捏造して何とか正気を保っている様は、見ていて痛々しい。
そういう私も毒親育ちの現役うつ病患者、信用出来ない語り手だ。
本ブログ『この鬱がすごい!』にも心を防衛する為、"真実だと無意識に信じ込んでいる嘘"が含まれているかもしれない。