M-1を観るのは苦しい
私にとってM-1は、すごく観たいけれど、すごく観たくない大会である。
芸人さん達がどれだけこの大会にかけていて、どれだけ極限状態にいるのか、素人なりに理解しているつもりでいるので、観ていて苦しいのだ。
「早く楽にしてあげたい」と何目線か分からない思いがこみ上げてくる。
当日は朝から呼吸が浅い。
食事があまり喉を通らない。
何をしても落ち着かない。
己の共感性の強さが、全て仇となる。
重度の鬱を発症したという事情もあり、とりわけここ2大会においては、かなり寿命を削られてきた。
精神疾患を抱えていたとて、いざ本番が始まると、異様なほど入り込んでしまうのだ。
お笑いオタクとしての血潮がそうさせるのだから、仕方がない。
M-1戦士、審査員、客席、テレビ画面、自宅の居間、傍観者である私・・・時空間を越えて全てが融合し、脳が引きちぎれるまで過集中する。
その瞬間、確かに私はM-1の中にいる。
でもって、大会が終わると廃人と化す。
びっくりする程、体調が悪くなる。
元々体力ゲージの少ないうつ病患者が、後先考えず豪快に1upを前借りしたのだ、至極当然の結果と言える。
M-1を観るのは苦しい、とても苦しい、それでも観ずにはいられない。
それは、生きている感じがするから。
昔から情緒不安定気味な私は、なるべく日常を穏やかに過ごす様、心がけてきた。
衣食住に困らず、平和で安定した世界、それは素晴らしいけれど、それだけでは生きられない。
人間は時に刺激を欲するものなのだ。
自我の殻を破るきっかけを、本能が探しているのだ。
今宵、私は命を削って生を実感する。
さぁ、かかって来いM-1グランプリ2020!
・・・なんじゃこりゃ。