鬱なのに"また"映画『ジョーカー』を観る
『ジョーカー』を鑑賞してからというもの、私の頭の中はアーサー・フレック(後にジョーカーとなる人物)の事で一杯だった。
四六時中、彼の事を考えている。
もはや恋愛だ。
そこで、作品に関する知識を深めたいと思った私は、町山智浩氏の「映画ムダ話」を聴き、RHYMESTER 宇多丸氏の「週間映画時報 ムービーウォッチメン」を聴き、岡田斗司夫のYouTubeチャンネルを観た。
加えて、作品内でオマージュされている、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』も観た。
すると、たまらない気分になり、気づけば劇場でもう一度『ジョーカー』を観ていた。
そして案の定、鑑賞後はぐったりして、家でしばらく寝込むのだった。
私は自傷行為をしているのだろうか?
ただ後悔はしていない。
やはり2回目の鑑賞には、初見時とはまた違う味わいがあった。
ここからはネタバレありの映画体験記。
公開から時間も経っているし、観たい人はもう観たでしょ!
初見時は、アーサーのあまりに悲惨な境遇に同情するあまり、彼と精神的な部分がどんどん同化して行き、最後はスクーリーンを観ながら怒りの感情を吐き散らかして終わった。
何なら「もっとやれよ!」ぐらいに思った。
その点2回目は、アーサーから少し距離を置いて鑑賞する事が出来た。
すると、際だってきたのは「どこまでが現実で、どっからが妄想か?」問題。
マーティン・スコセッシ作品を事前に観ていた影響もあると思う。
コメディーショーの観覧に行き、ひょんな事から舞台に上げられ、大歓声を浴びる・・・ここは妄想、劇中でも分かりやすく描かれている。
同じマンションに住むシングルマザーとの恋・・・これも妄想、分かりやすい。
では、トーマスに会う為に侵入したチャリティ上映会は?
みんなタキシードで決めているのに、あの変な赤い服でどうやって中に入ったというのか・・・これも妄想か?
となると、彼の出生は?父親は?どっちが妄想?・・・etc
いやはや、こんなに見方次第でどうにでも解釈出来る多層的な作品だったとは。
恐れ入った。
何はともあれ、妄想がなければ辛すぎてとても生きていけない様は、やはり同情してしまう。
私も中学の時、架空の美少女を脳内で作り上げて、それを自分だと思いこむ様、自己暗示をかけていた時期があった。
少女には、名前も住所も家族構成も友人関係もあった。
心を守るための妄想というのも、世の中にはあるのだ。
そしてラストのシーン、衝撃が走った。
初見ではゴッサムが炎上した所で舞い上がってしまい、ろくに観ていなかったのだと思う。
え、ジョーク・・・今までの全部ジョーク・・・
この野郎、同情して損した!!全部こいつの思いつきだったのか!?!?
だとすると、『ダークナイト』のヒース・レジャー版ジョーカーと別物でもないじゃないか!
キャラぶれてないじゃないか!
こいつは一杯喰わされた。
ただ不思議と悪い気はしない。
やっぱりジョーカーの方が一枚上手だ。
私には手の届かない存在でいて欲しい。