あの時死んでいたら、マヂカルラブリーの優勝を見られなかった
2020年12月20日、M-1グランプリの優勝者が決まったその瞬間、脳が宙に浮いた。
猛烈な紙吹雪の中心にマヂカルラブリーがいた。
野田君は泣いていた。
M-1グランプリ2008の敗者復活戦で出会ってから12年。
人生何が起こるか分からなすぎだろ。
マヂカルラブリーが賞レース向きで無い事ぐらい、素人なりに理解していた。
3年ぶりに決勝進出して、今回も結果が振るわなかったら、もう2人は立ち直れないのではないかと思って、「絶対優勝して下さい」なんて死んでも言えなかった。
マヂカルラブリーの面白さがちゃんと視聴者に伝わって、同志が増えればそれでいいと思っていた。
まさか優勝してしまうなんて!
もう、こんな気持ちにさせて!
許さんぞ!
一生課金してやる!
思えば3年間、私も辛かった。
誰よりも努力して、しなくていい努力もして、必死に頑張ってきたつもりが上司にハメられ、強引に自主退職させられた。
精神的にボロボロだったが、休む事も許されず、回らない頭で必死に転職活動用の履歴書を書き続けた。
2017年の年末は地獄だった。
だからせめて、マヂカルラブリーにだけは幸せでいて欲しかった。
上沼恵美子に酷評されて私も傷ついた。
その後、何とか転職を果たすも、またしてもパワハラ上司の元で消耗してしまう。
毒親育ちで自己肯定感が著しく低い私は、いつもこのパターンで失敗する。
気づいた時には重度の鬱だった。
生と死の間で命が揺れていた。
あの時死んでいたら、マヂカルラブリーの優勝を見られなかった。
生きてみるもんだ。
私の愛は深い。
マリアナ海峡よりも深い。
「漫才か?漫才じゃないか?」、そんなくだらない事でワーワー騒いでる自称うるさ型とはお笑いオタクとしての器が違うんだよ!
バーカ、バーカ、バーカ!
※野田君がR-1で優勝した際に書いた自己満エッセイ
※スーパー野田ゲーPARTYのクラウドファンディングに参加した話